竹内文書に見る、月読暦とは!

古代日本では、季節の変わり目を重要な節目と考え、暦を重要視していた。
月読暦と古代天皇の寿命
イザナギが生み出した「三貴子」の一人、月夜見命(つきよみのみこと)は、夜を治めるよう仰せつかった神である。

竹内家帝皇日嗣では、月夜見命は三柱の神を示すとされる。
月読命:新月で、暦の神 (月読暦)
月弓命:三日月で、軍事・力の神
実際はもっと多くの神々が存在すると言われているそうです。
月の満ち欠けの数だけツキヨミノミコトはいるわけです。(新月、三日月、満月、上弦の月、下弦の月、十六夜、立待月、寝待月など・・)
これは、数多くの氏族へと分かれていったことを意味していると言われています。
ツキヨミは、アマテラスの怒りを買い日本から追放された神であるが、古事記にはほとんど記述されていません。日本書紀では「ウケモチノ神(保食神)」殺しで追放されたことになっています。
記述が変えられた理由や詳細は不明であるが、古事記ではこの話は スサノオとオオケツヒメ(穀物の神)の話で書かれている。
因みに、追放されたツキヨミは、大八島の国(今の日本)を出てユーラシア大陸に向かい、月氏国、弓月国をつくる。(今の中国・モンゴル辺り)そして西方へと拡散する。
その子孫がインドへと渡り、大月氏国(後のクシャーナ朝の祖)となった。
弓月国と月氏国の子孫が、徐福と秦氏である。
ツキヨミのすべての氏族が日本を離れたわけではなく、残った氏族が時の帝皇の祭祀を司る暦を支配し仕えていた事になる。(戦いにおいてこの暦は非常に重要となってくる、勝敗を決定する要素ともなり、時には呪術にも使われていたとある。)
暦(天文)担当という特殊な地位が継承されていたようで、後の賀茂家、安倍家、三好家の3氏族のみがその任を担当することができたと竹内睦奏氏は語っています。(将門の乱で、平将門が戦に負けた理由は、この天文担当文官がいなかったためだとされています。この3氏族とのつながりが無く文官を置く事ができなかった。)
暦というものは、それほど重要視されていたということである。
夏越の祓(なごしのはらえ)と年越しの祓(としこしのはらえ)
月読暦では、一年(十二か月)を前半と後半に分け、
1月から6月 (前半の一年の終わり):晦日(みそか)といい、6月の終わりには夏越の祓を執り行います。
7月から12月(後半の一年の終わり):大晦日(おおみそか)といい、年越しの祓を行います。
日本各地の神社でも、この行事が執り行われているのをよく見ますね。
このように一年(12か月)を2年と数えます、古代天皇はこの月読歴で年齢を数えた為非常に長寿であったかのような印象を受けるわけです。
月の満ち欠けの数だけツキヨミノミコトはいたわけです から、それらのひとつひとつが重要な節目とされ暦に繰り込まれていたのでしょう。
「ハレの日」と「ケの日」

「ハレ」とは、非日常の時を表すことで、” 節句 ” の日即ち正月やひな祭り・端午の節句など季節の節目の日の事です。
句とは、人間が神と共に食事をいただく事、神に供えたお神酒などをその後にいただく「直会(なおらい)」を言う。これらはすべてが神事とみなされている。
「ケ」とは、人間にとっての日常であり「ケ」の日が続くとだんだんと”気が枯れる” ”穢れてくる” 事になります。
一年を通して次第に穢れてゆく日常の中で、節目ごとに「ハレ」非日常を置く事でその穢れを祓い清めてゆくことが大切であると竹内氏は語られています。
お神酒の ” 酒 ” は米から作られるが、「米」は天の恵みと地の恵みそして多くの手間をかける人の恵みによって成り立つもので、「天地人」を表していると言います。
それを神に供え、季節という ” 時間 ” を明かにする「節句(節目)」に諸々の神事を行うことが重要と考えていたのです。
米と同様に「お茶」も「天地人」を表すものであると言います。
この「節句」に合わせて、いろいろな行事が当てられてゆくことになります。
宿命と運命は違うもの!
暦は時として人の運命をも操ってしまうものであると言えるでしょう。
第73世武内宿禰を継承した、故竹内睦奏氏はこのように語っています。
宿命とは、自分の内に持っているものであり、古神道では「49年前」にそれは決定されるとしています。
つまり、50歳以降の自分の人生は自分で責任を取らなければいけない(すべての原因はそれまでの自分にある)、どう責任を取るか・・それが運命をつくる。
運命・・運ぶ命とは、自分自身によって自分が決定されるということなのです。
仏教ではそれを ” 因 ” と ” 業 ” として教えられる。
過去の自分がつくったものを「因」、それによって背負うべきものが「業」であり、それは自分自身で変えてゆくことができる。または、変えてゆかなければならないことだ。
仏教もまた根源は神道であり、すべての宗教は本来一つなのだと云うことを私たちは知らなければならない。
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