古文書に見る日本の歴史! ⑸ 竹内文書は本当に偽書なのか?

古文書に見る日本の歴史! ⑸ 竹内文書は本当に偽書なのか?

正統竹内文書(竹内神道)の極秘口伝と 神道地政学

 

本記事は、古史古伝から学ぶ、真・日本古代史! への移転・転載作業中です。

 

万象同根・万教帰一 を掲げた竹内神道

武内宿禰に伝えられる口伝は、本来門外不出の極秘扱いとされ竹内神道は秘密神道とされている。

そのため内容については、長老・参議、蔵人(くろうど)の一部の幹部など各々が部分ごとに分類された歴史の一部を伝授されており、各々の伝承者は家族にも秘密にし継承者であることも明かしてはならないと言います。

そして、各自が伝承された内容を次代の武内宿禰が一括伝承し纏めるという「一子相伝」形式で伝承されます。

武内宿禰継承者のみがすべてを把握・記憶し、文章にしてはならないという決まりがあるそうです。

(講演の中で睦奏氏は、次から次へと歴史に関わるいろいろなことを語り伝えられるので、記憶がなかなか追い付かず内緒でメモを取ったこともあると話していました。)

これほどまでに秘密主義をとる理由は、古神道の秘儀と歴史そして血脈を絶やさないことだと竹内睦奏氏は語っています。(なぜ、一部にせよ公表したのかは後述します)

伝承者のみが極秘裏に語り伝えることで、古事記や日本書紀のように時の勢力によって都合よく歴史が書き換えられることがないため、良く知られて史実と食い違う部分が多々あると言います。

竹内氏自身はその著書「正統竹内文書」や講演会などで秘密とされる口伝の一部を公開したりしているが、著書や講演によってそれぞれの内容に若干の違いを見ることがある。

それは、伝承されたままを伝えることができないため言葉使いや表現方法を微妙に変え、なぞかけのような話し方をしたり敢えて違うことを話したりして、内容をどう解釈するかは読者に委ねているのです。

極秘口伝を明かす以上、どストレートに話すことはできないようで聞く側にもある程度の考察や推理を働かせてもらおうとしているのがわかります。

口伝の分類

竹内家の口伝は何段階かに分かれています。

初伝  中伝  上伝  皆伝  総伝  奧伝  秘伝  極秘伝

そして、雑伝  とあります。

竹内家以外の南朝系古神道の家系には初伝から総伝までが伝えられ、奧伝・秘伝・極秘伝は竹内家のみに伝えられます。

最後の 雑伝 は、史実かどうか疑わしいが歴代祭主の義務として伝承しなければならないものがあるそうです。

例えば、良く知られている「日ユ同祖論」と同じような内容のものがある。

内容は、「世界同祖説」(古代ヤマト民族は、日本列島より十六方位へと拡散し彼の地で独自の文化を育んだ)といったものやピラミッド建設に関する事、前方後円墳の形や意味・目的、宇宙創成に至るものまである。

正統竹内文書と茨城竹内文書

竹内氏によると、直会(なおらい)などで口伝に関する確認が行われた際、「俘囚(ふしゅう)」の家柄であった竹内清麿(元々は赤池家の養子)がそれを盗み聞きし記録したものが、よく知られている「竹内文書」であるという。

「俘囚(ふしゅう)」 とは、 やまと朝廷が東遷した際に 捕虜や配下となった独自の生活や文化を持った蝦夷(えぞ)と呼ばれる人々のことで、関東地方にも数多くの俘囚が移住させられたといわれています。

関東農政局

竹内氏はこれを区別するため、「茨城竹内文書」と表現し、自身の持つ伝承を「正統竹内文書」としている。

正確な内容や年代は正統竹内家のみが知る事なので、「茨城竹内文書」には、人名や年代に矛盾が多いと言います。(200年程のズレがある。)

( 竹内清麿が神代文字として書き残したものも、実際は「サンカ文字」であるという。 サンか文字まで知っていたなんてそれはそれで驚きである。)

他にも、日本を8つに分断しようと画策する動きが起きるとの予言もある。

世界に拡散していった現日本人たちは各地で独自の文化と共に生活環境に応じて独自の宗教観を持つようになり、古神道の神々の名もそれに従って変化していったと考えられる節もある。

第五十六世竹内李治(すえはる)の時には法華神道が導入(法華三十番神)されたり、第六十世竹内惟治( これはる:後南朝の王子・越中宮惟治王 )の時に南朝伝承と天皇家神道の秘儀(皇家神道)そして真言密教などが伝わっている。

竹内神道は、これらの秘儀秘伝が混ざり合っているものだそうである。故に八百万の神は、すべての自然神・仏を指すものとなっています。

口伝の分類

竹内家の口伝を、系統別に記載してみます。

・ 太陽崇拝:自然崇拝の伝承

・ 国津神系伝承と古神道の行法

・ ニニギノミコトの妻(大山津見神の娘 ” コノハナサクヤ姫 ” ) の時と後醍醐天皇についた産民の伝承 ・・竹内氏は何も言っていないが、これはおそらくサンカの事

・ 彦火火出見命の妻(大綿津見命の娘 ”トヨタマ姫 ” ) の時と神功皇后の三韓出兵の時に竹内宿禰に従った安曇一族(琉球王国)の海民伝承。

・ 神武天皇の妻(事代主命の娘 ” 媛蹈鞴五十鈴姫 ” :ひめたたらいすずひめ)の時の出雲伝承

・ 屋主武雄心命(やぬしたけおこころのみこと)の時の紀伊の国に伝わる南洋系伝承

・ 竹内宿禰としての、審神者法・禊法・盟神探湯などの古神道の秘儀

などがある。

そんな竹内神道ではあるが顕斎で行う社(やしろ)はない。

*顕斎(けんさい)とは実際に祭祀を執り行うときに使われる実在の社殿(物質的に存在している)の事で、幽斎(ゆうさい)とは霊的に存在するものを現わして執り行うこと。

しかし、幽斎で祭祀を執り行う社として、「皇祖之霊皇大神宮(すめみおやのみたますめおおかむのみや)」がある。

別名「皇祖元御光大神宮(すめみおやみひかりおおかむのみや)」という。

口伝では、神武四年に神武天皇の詔(みことのり)によって創建されたそうです。

「茨城竹内文書」の社殿「皇祖皇太神宮天津教:茨城県」のにある神社とは別物です。 富山にある「御皇城山皇祖皇太神宮」とも違います。

この「皇祖元御光大神宮 」の主題の祭祀は神武天皇の皇后 媛蹈鞴五十鈴姫 であることから、出雲系の口伝があるのだそうです。

以降、

二代祭主:神八井耳命(かむやいみみのみこと)・・皇位は弟に譲った。

三代祭主研耳命(きしみみのみこと)・・記紀では神武天皇の息子とされているが、実は「手研耳命(たぎしみみのみこと)」の皇子だとされている。

以後天皇の近親者によって祭祀は執行されていたが、景行天皇の時代に天皇の詔(みことのり)によって八代祭主の屋主武雄心命の子孫が祭主を世襲する事となった。

その 屋主武雄心命の 息子が、第一世竹内宿禰であった。

呼び名の ” 武内 ” は本来「建内宿禰」や「武内宿禰」と書くのが正式ではあるが、鎌倉時代の頃より「竹内」と書きかえたのだと言います。

それ以降、歴代の祭主が称号としての「竹内宿禰」を継承しているのだそうです。

現在は、第七十三世として 竹内睦奏氏が継承したが、令和2年に55歳という若さで逝去されました。 ご冥福をお祈りいたします。

皆さんもよく耳にされている「平群真鳥」は、第八世竹内宿禰ですが、大伴氏の陰謀で失脚したそうです。

この時古神道の秘儀以外の歴史に関わる口伝を漢字で筆録したらしいとの事です。(睦奏氏談)

御神符以外はすべて漢字を使って書かれたため(伝承された神代文字ではなかった)神代文字による口伝というものは存在していないのだそうです。

(やっぱり書かないと覚えきれないんですね。)

天武天皇の時、第二十三世の平群子首(へぐりのこびと)が、日本書紀の編集で「臣姓伝承編集」を担当し、中臣大嶋が「連姓伝承編集」を担当した。

古事記や日本書紀は、こうして神代文字の記録や漢字記録、各地の長老の口伝を集めて編纂されたものとなっています。

古代の豪族は自家独自の 神道、歴史、武術、医術を伝承していたともいわれています。

当然、竹内家にも独自の武術(塩手法)や骨法、真手法などの医術や柔術の竹内流宗家が岡山県にあるそうです。

南朝との関係

第四十八世竹内仲治の時、後醍醐天皇により綸旨を賜り山城の国に築城した。

これらの事は、「久我家文書(国の重要文化財)にも記されている。

この頃から 南朝と北朝の両方に仕えていたらしい 。

南北が統一された後も竹内家では南朝の皇子をかくまっていた事で、南朝より代々従三位をあずかっているのだそうである。

戦国時代には、キリスト教の布教を許した足利義満将軍や織田信長と対立している。

第五十六世竹内季治(すえはる)は、織田信長を無能呼ばわりしたため近江の永原で信長によって処刑されてしまったが、後南朝の皇子に嫁がせた次女によってその血筋は何とか保たれた。

それが、第六十世 越中宮惟治王 改め 竹内惟治 となった。(実際は小倉宮良泰親王の子孫)

戦国の世において竹内家は徐々に衰退してゆき、神主や農民にまで没落していった。

現在の天皇家は、北朝方であるので、南朝系の竹内家は一切表には出てこない。

神道地政学というもの

日本列島は世界の縮図内八州外八州の考え

審神(さにわ)を使うことで、戦争・ 政争などはある程度の予測がつくらしい。

審神(さにわ)は古神道の祭祀において神託を受けることで、 それを伝える役目のものが審神者(さにわ)という。 竹内睦奏氏も自身の事を審神者だとしている。

道教 の奇門遁甲の法も、 この審神が発達して実用化されたものだという。

天武天皇が奇門遁の術を使ったというのも、この土地神の発想がもとからあったのだという。

天武天皇は西暦675年に、星の進行を見て将来を占う目的で 占星台という天文台を造営している。

「 天皇」(てんのおお) を名乗る以上、地の皇帝としての「 地皇」にも詳しかったのだろう。

それに対し竹内家に伝わる兵法の極意は、「 無の極」 と「 和」 だそうである。   「 和」 とは、、日本は「 わ:和( 倭)」 の国であり、「 やまとのくに:大和国( 邪馬台)」 の国である。

倭国(倭人)という国名は、魏の皇帝がかってに文字をあてただけの事であって日本人が自らがそう名乗ったわけではない、 邪馬台国(やまたいこく)も日本語のヤマトのくにを勝手に自分たちの発音に合わせて当て字をつけただけである。

日本人が考える「わ」は、和であり全体が平和にまとまるよう大きな和を持つ国であることから大和の国を「大和」と書くようになった。

ただし、 和といっても昨今の無抵抗主義の平和主義者のように、まるで題目のように平和を唱える訳ではない。

むしろ、 戦争が起こるケースも想定した上でいかにして人民の暮らしを守るかを考えることが「 和」である。

「 和」 を主張することで最も重要なのが情報収集であると「睦奏氏」はいう。

審神にしても同じで、膨大な諸神からの情報をもとに判断を下す訳で、収集した情報を綿密に分析し、 外交への戦となる。

このときは敵の情報を混乱させるため、 偽情報を流したり情報操作を行ったりもする。平たく言えば、諜報活動である。

こういった考え方や行動は今の日本の政治家には欠如していると竹内氏は著書の中で語っている。素人目に見てもそんな状況は分かりますよね。(あ~情けない!)

神道地政学が通常の地政学と違うのは、 神道地政学は顕界( 表に顕れた世界) の地政以外に、幽界の地政をも参考にすることだ。

.「顕幽一如」 といって、 顕界と幽界は合わせ鏡のようなものになっている。 具体的には、 幽界に起こっ たことは、 必ず顕界にも起こるといわれているのだ。   これと似た合わせ鏡に、「 内八洲 外八洲 観」 がある。 すなわち日本が世界の 雛形であるといった竹内神道独自の世界観である。

 あまりにも情報量が多くまとめるのに結構苦労していますので、少しづつではありますがわかりやすくお話していきたいと思います。

* 本記事を作製するにあたっては竹内睦奏氏の著書である、「正統竹内文書」及び「定本竹内文献」を参考にしています。

 

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