山開拓でキャンプ。    今回は 気分を変えて、月にまつわる話を・・・。

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熱燗とするめで一杯やりがら夜空を見てみると・・

月に纏わる世界の神と月の神秘何故、人々は月に心を奪われるのか。

主な世界の月神

インカ神話  - コニラヤ

マヤ神話   – イシュバランケー、イシュ・チェル

アステカ神話 – コヨルシャウキ

エジプト神話 – コンス、トート、ハトホル

ギリシア神話 – アルテミス、ヘカテー、セレーネー

ローマ神話  - ディアーナ、ルーナ

中国神話   - 嫦娥、常羲

日本神話   – 月読の命  

世界中で語り継がれる月の神、ヤマトの国ではどのように語られてきたのだろうか。

ツクヨミノミコトは、夜の食国(よるのおすくに)  を任された『月の神様』。

日本神話に登場する「三貴子(みはしらのうずのみこ)」のひとりである「ツクヨミの命」について。

太陽の女神であり天上と地上を支配するアマテラスと対を成す存在で、イザナギから夜の国を治めるよう命じられました。

そしてその名の通り『月読』なので『月を読む』ということになります、これは古事記では「月読命(つくよみのみこと)」、日本書紀では「月神(つきのかみ)」、「弓尊(つくゆみのみこと)」、「月夜見尊・月読尊(つくよみのみこと)」とも表記され、その名前毎にある役割を表しているのです。

第73世武内宿禰の竹内睦奏氏によると、農業(主に稲作)に不可欠である暦(こよみ)を つかさどる神であり、すべての生命は月の満ち欠けの周期に合わせて生きていることを表します。

三貴神のひとり
月讀神社

三貴神の一人、イザナギより生まれた神。

 

ツクヨミ(三貴神)の誕生

古事記えは、ツクヨミの誕生についてこう記されています。
火の神「カグツチ」を出産した際に亡くなった妻・イザナミに会いたい一心で黄泉の国へと行ったイザナギであった、しかしそこで目にしたのはとても醜い姿となった妻の姿であり、イザナギは恐れをなし必死で逃げ帰ってしまった。

追手から逃げなんとか現世に戻ったものの、黄泉の国で死の穢れを受けてしまったイザナギは、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(つくしのひむかのたちばなのおどのあわきはら)」にて身を清める「禊祓い(みそぎばらい)」をします。

その折に、左の目を洗ったときに生まれたのが「アマテラス」右の目を洗ったときに生まれたのが「ツクヨミ」鼻を洗ったときに生まれたのが「スサノオ」でした。合わせて「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と呼ばれ、この三柱の神は姉弟関係となっています。

つまり生まれた順番からツクヨミはアマテラスの弟、スサノオの兄にあたる訳です。

そして、三貴子を生んだ父であるイザナギは、アマテラスには高天原、スサノオには海原を、そしてツクヨミには夜の国を治めるよう命じました。

農耕の神様として

このような神話から、夜の国を支配する神様とされているツクヨミですが、実は農業・農耕の神様としての一面が日本書紀に記されています。

ある日ツクヨミは、アマテラスから保食神(うけもちのかみ)に会いに行くよう命ぜられます。

ツクヨミが保食神のもとへと降りると、保食神(うけもちのかみ)はツクヨミをたいそう歓迎し、口や尻からたくさんの海山の食物を出して奉りました。

それを見たツクヨミは、「口や尻から出した食物を神に贈るとはなんと汚らわしいことか」と怒り、あろうことか剣を抜いて保食神を殺してしまうのです。

保食神 はツクヨミに殺された

このとき殺された保食神の身体からは牛や馬、蚕、稲をはじめとする五穀が生まれ、天にもたらされました。

月は人々の想像力を豊かにする。 昼と夜は何故あるのか。

月は人々の想像力を豊かにする。

しかし、その後高天原へと戻ったツクヨミは、保食神を殺めたということをアマテラスに報告、それを聞いたアマテラスは激怒し、「あなたはなんということをしたのでしょう。あなたのような悪神とは二度と会いたくありません。」と言い、以来二柱の神は一日一夜を隔てて住むようになりました。

これをきっかけに月と日は顔を合わせなくなり、交替で天に現れるようになったというものです。

文言だけを見ると、エ?と思ってしまうのですが、これは象徴的な事柄を表すエピソードであり、結果的に豊かな土壌を作り五穀を実らせることを表しています。

然しながら、第73世武内宿禰を継承する竹内睦奏氏の口伝によるとこの事件がきっかけとなりツクヨミ一族は日本をはなれたといわれます。 

そしてそれ以降のツクヨミの一族についての詳細は語られていませんが、口伝の中では大陸に渡り西へ西へと勢力を広げ、時代を経てまた日本列島へと戻ってくることになっているそうです。

前述の通り、「月読」という神名は月を読む(数える)ことに由来しています。かつて月の満ち欠けは農業において非常に大切な指標であり、農作業を進める上で欠かせない役割を担っていました。

このようなことから、ツクヨミが農業に深く関わっていると言われているのです。

スサノオと同一神説

ヒルとヨル

姉であるアマテラスや弟のスサノオと比べ、ツクヨミのことについて触れられている物語はわずかです。

そのため、三貴子の中でも一番謎が多く、様々な説があります。

これは、アマテラスとスサノオという非常に強い個性を持つ神の間に静かな神を挟むことでバランスを取っているのではないかという説や、またある視点によると、弟であるスサノオとツクヨミの支配領域が近い事や、大陸移動・帰還説から考えて「ツクヨミとスサノオは同一神なのではないか」という疑いもあります。

日本書紀ではツクヨミが保食神(ウケモチノカミ)を、古事記ではスサノオが口と尻から食物を出す「大気津比売神(オオゲツヒメノカミ)」を斬り殺したという物語が書かれています。 内容が書き換えられているのも二柱の神の神格の共通性が「同一神説」の理由のひとつとして挙げらるのかもしれません。

日本では月が清らかな場所であると考えられた。

『古事記』によると「ツクヨミ神」は日本の国土と多くの神々を生んだイザナギノミコトが禊をした際に右目から生まれた神とされ、夜の国の統治を命じられている、また三種の神器の1つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」はこのツクヨミ神を表しているとの説もある。

ツクヨミ神は全国85社の月読神社(社名は「月読宮」「月読神社」「月夜見神社」「三日月神社」「月弓社」など多数)に祀られており、伊勢神宮の月読宮も、このツクヨミ神の祀られている神社なのだそうだ 。

イザナギの左右の目、太陽と月、「ひ」る(ひ:霊。始まりの命) と 「よ」る(よ:地から天へ。陰から陽へ)一つの還りを表す。 それは、常に(つい)となっているもの。

月読の命を祀る神社

二柱の神に比べ若干影が薄いものの、「三貴子」のひとりであるツクヨミを祀る神社は全国に数多くあります。いくつか見てみましょう。

月夜見神社

静岡県掛川市

 

出羽三山神社

山形県鶴岡市

 

賀蘇山神社(がそやまじんじゃ)

栃木県鹿沼市

 

伊勢皇太神宮別宮月読宮・同月読荒魂宮(つきよみあらみたまのみや)

三重県伊勢市

 

月読神社

京都府西京区室山添町、長崎県葦辺町、鹿児島県桜島町、鹿児島県串良町

 

月読神社

京都府京都市

 

上記以外にも、意外なほど多くの神社(85社)にツクヨミは祀られています。

 

日本国内にいろいろな宗教があり、人それぞれの思いで生活していることでしょうね。 しかし、無意識化で神様(主に神道)というものに対し敬意をもって接する気持ちが、日本人の心の中には根付いているものです。

一度神社について、考えてみるのもいいかもしれません。(神社ガイド

 

月の暦「太陰暦」と日の暦「太陽暦」

現在、私たちが使用しているカレンダーは「太陽暦」、太陽の動きを基準に作られたものですが、昔は月の満ち欠けを基準に作られた「太陰暦」が使われていることはご承知の通りです。

「太陰暦」 は、月の見えなくなる新月の日から次の新月の日までの29・5日間を1か月とするものです。

しかし、これを12倍(12か月)とすると354日となり、1年の長さの365日よりも11日少なく、年を経るごとに季節がずれていってしまいます。

そこで、この欠点を補うために、約3年に1度、1か月を足して1年を13か月とすることにしました。

この余分に入れる月を「閏月」(うるうつき)と言います、閏月を入れた暦を「太陰太陽暦」と言い、日本でも明治5年まで使われており、いわゆる「旧暦」とはこの太陰太陽暦のことを指します。

伝統行事などは太陰太陽暦によって日付が決められているものが多く「中秋の名月」も旧暦8月15日の夜に見る月のことで、現在のカレンダーとは違う暦によって決まるため、 2019年は9月13日、 2020年は10月1日、2021年は9月21日、2022年は9月10日というように、毎年日付が変わります。

月にまつわる伝承

明治6年(1873)の改暦まで、日本人は月の運行に基づいた「太陰太陽暦」で生活をしていたんです。つまり今よりもずっと月と密接なつながりをもって生きてきたんでしょうね。

お月見の風習

月見団子とすすき

月見といえば十五夜ですよね、でも、日本古来の月見は、十五夜の中秋の名月(旧暦8月15日)と、月遅れの十三夜(旧暦9月13日)の2回行われるのが一般的でした。

月見なるものが文献に現れるのは平安時代の頃からで、中国の“観月の宴”が日本の貴族に伝わったとも言われていますが、日本各地の月見の風習には中国とはちょっと違う、日本独自の風習がいくつか見られます。 月を鑑賞する習慣は日本では縄文時代からあったのではないかと考えられています。

 

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和風月名

月の周期に合わせた暦「太陰暦」であるため、当然「月」を表す言葉で一年を分割しています。

睦月(むつき) 1月

仲睦まじい月。正月に家族や親戚でなごやかな宴を催し、むつみあうことからつきました。「生月(うむつき)」が転じたという説もあります。

如月(きさらぎ) 2月

「如月」という漢字は、中国最古の辞書『爾雅(じが)』の「二月を如となす」という記述に由来しますが、中国では「きさらぎ」とは読みません。旧暦の2月は現在の3月半ばなので、寒さがぶり返しいったん脱いだ衣を更に着る月という意の「衣更着」が「きさらぎ」の語源になったという説が有力です。

弥生(やよい) 3月

暖かな陽気にすべての草木がいよいよ茂るという意味の「弥生(いやおい)」がつまって「弥生(やよい)」になったとされています。(※春分の日: 暑さ寒さも彼岸までといわれ、お彼岸が季節の変わり目だったのでしょうね )

卯月(うづき) 4月

卯の花(ウツギの花)が盛りになる月。また、田植えをするから「植月(うづき)」という説もあります。

皐月(さつき) 5月

早苗(さなえ)を植える「早苗月(さなえづき)」が略されて「さつき」となり、後に「皐月」の字があてられました。「皐」という字には水田という意味があります。( 田植えに使う稲の苗で、苗代(なわしろ)から田に移し植えるころのもの)

水無月(みなづき) 6月

旧暦の6月は梅雨明け後で夏の盛りであることから、水が涸れて無くなる月であるという説と、田んぼに水を張るので「水月(みなづき)」が変化したともいわれています。

文月(ふみづき/ふづき) 7月

短冊に歌や字を書く七夕の行事から「文披月(ふみひろげづき)」、稲穂が膨らむ月ということで「ふくみ月」、これらが転じて「文月」になったといわれています。

葉月(はづき) 8月

葉の落ちる月「葉落月(はおちづき)」が転じて「葉月」。現代感覚では葉が生い茂る様子を思い浮かべますが、旧暦では7月から秋となるため、秋真っ盛りだったのです。

長月(ながつき) 9月

秋の夜長を意味する「夜長月(よながづき)」の略で「長月」になりました。また、秋の長雨の「長雨月(ながめづき)」、稲穂が実る「穂長月(ほながづき)」からという説も。 (秋分の日:暑さ寒さも彼岸までといわれ、お彼岸が季節の変わり目だったのでしょうね)

神無月(かんなづき/かみなしづき) 10月

神々が出雲の国に行ってしまい留守になるという意の「神なき月」が転訛して「神無月」。神々が集まる出雲の国では「神在月(かみありつき)」といいます。

霜月(しもつき) 11月

文字通り霜が降る月という意の「霜降月(しもふりつき)」の略で「霜月」となりました。

師走(しわす) 12月

12月は僧(師)を迎えてお経を読んでもらう月でした。師が馳せる月という意の「師馳す」が転訛し、走るという字があてられるようになりました。

芋名月と栗名月。

「それが、『芋名月』(=十五夜)と、『豆名月』『栗名月』(=十三夜)。

芋・栗・豆といえば、稲作以前の日本に住んでいた人たちの主食だったと言われています。

特に栗は縄文時代にすでに栽培されていた形跡があり、これらは不作にならないので、貴重な食糧となっていたのです。芋や栗が実りを迎える秋は、月も一層美しく見えそこに収穫物への感謝を捧げたのが月見の由来なのかもしれません。

「月見団子」を供える風習が始まったのは、江戸時代後期からで、比較的新しい風習なのだそうです。

お供え物が変わっても意味合いは同じで、月を見るという行為には、鑑賞するという審美的な意味と、収穫の感謝という信仰的な意味とがあるのです。

月に豊穣を祈る

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古代の月見は秋の収穫への感謝だけではなく、年の初めに豊作を祈るためにも行われたようで、時期は小正月(1月14日頃)だそうです。

小正月は、月見のほかにも1年の豊作を祈願する行事がとても多い日で、年の初めの満月には最も力が宿るとされていました。

その日をの祈り始めとして、祈願は季節ごとに行われそれが毎年繰り返されるのです。

ところで、秋の月見は2回行う・・?

秋の月見は十五夜と十三夜の2回あったとおもわれるのです、そのどちらかだけを見る「片月見は縁起が悪い」という言い伝えもあるようです。


これは日本独自のもので、一般的には江戸時代の遊郭で生まれた験担ぎだと言われています。

意中の遊女と十五夜を過ごしたら月遅れの十三夜もともに過ごさなければ縁起が悪い・野暮だとか、しかしこれは客寄せのためといわれる一方で、「十五夜と十三夜の真ん中に9月1日という晦日朔(みそかついたち)があります。つまり新月です。

では、片月見のタブーとは何か。それはただ満月を鑑賞するのではなく、月の満ち欠けに巡る1年を想起し、始まりと終わりに祈りを捧げていたともいわれます。

月の満ち欠けと女性のバイオリズム

農作物の豊穣性と合わせて女性の体内リズムにも通じるのです、つまり妊娠と出産にも月は関わっているということです。

前述しましたが、 すべての生命は月の満ち欠けの周期に合わせて生きていることを表します。

「古事記の一節、日本武尊(やまとたけるのみこと)と尾張の宮簀媛(みやずひめ)が初夜を迎えたときの話で、

『さ寝むと吾は思へど汝が著せる襲の襴に月立ちにけり』(交わろうと思ったが、生理がきてしまってはそれも叶わない)

と日本武尊が詠むと、

宮簀媛は『君待ち難に我が服せる襲の襴に月立たなむよ』(待ち遠しかったのです。生理がきてしまいましたが、私は構いませんよ)

と書かれています。

生理のことを”月のもの”と言いますよね。月の満ち欠けの周期は約29.5日、女性のバイオリズムとほぼ合っています。

もしかしたら古代の女性のサイクルは月の満ち欠けと一致していたのかもしれませんね。

地球に住む私たちにとって最も身近な天体、世界中で多くの伝承や神話が存在するのもうなづけます。

月の模様は何に見えるのか。

ウサギの餅つき

月の兎の由来

 「月には兎がいる」、月の模様が兎のように見えるからとのことですが、私にはそう見えたことは一度もありませんでした。(つまんない子どもだったのか)。

これは、インドに伝わる仏教説話が由来だそうです。

昔、兎と猿と狐の前に飢えた老人が現れました。猿は木の実を集め、狐は川の魚を捕り、老人に食べ物を与えました。

しかし兎は何も用意することができなかったため、焚火の中へ身を投げ 自分を焼いて食べてもらおうとしました。

それを見た老人は仏としての正体を現し兎の善行を称え、月へと昇らせたというものです。

この話は仏教圏であるアジアに広く伝わっており、アジアの国々では月の模様を兎と見るのが一般的です。

月にまつわる伝説・神話

日本最古のSFといわれる『竹取物語』のかぐや姫も、月の住人であった。

罪を犯して穢れた地上に下ろされた、というのだが、月がこの地上よりも清らかな場所であったという思想が見て取れる。

また、月は不老不死の力を持つとされ、そうした考え方はかぐや姫が最後に帝(みかど)贈った不老不死の薬を、富士山(不死に通じる)で焼き捨たというエピソードからも読み取れる。

蛙に化ける仙女

中国の月の兎は、西王母という女神を手伝って、不老不死の秘薬を作っているとされています。

ある時、后羿という弓の名手が増えてしまった太陽を射落とし、暑さから人々を救った褒美として、西王母から不老不死の秘薬を与えられました。

后羿は秘薬を大切に隠し持っていたのですが、妻の嫦娥がこれを見つけ、夫が留守の間に盗み飲んでしまい仙女となって空に浮かび月まで飛んで逃げて行きました。

そして、秘薬のおかげで年をとることも死ぬこともなく、若く美しい姿のまま、月の世界に豪華な宮殿を建てて暮らすようになったという話です。

また、唐の玄宗皇帝は、月を眺めることが好きで、一度でいいから月の世界に行ってみたいと強く願っておりました。すると中秋の名月の夜、その願いを叶えてくれる仙人が現れ、桂の木の枝を月に向かって投げました。枝はあっという間に月までつながる銀の階段となり、玄宗皇帝はその階段を昇って月にたどり着きました。月には豪華な宮殿があり、美しい女性たちが音楽に合わせて踊っています。その様子に見とれていると、やがて嫦娥が現れてにっこり笑って玄宗皇帝を迎えました。玄宗皇帝は嫦娥に気に入られ、手厚くもてなされて夢のようなひと時を過ごしたと伝えられています。しかし、嫦娥は気に入らない客が来ると会おうとはせず、醜い蛙に姿を変えて、宮殿の奥に身を隠してしまうそうです。

月の女神の道しるべ

 古代ギリシャ神話には、多くの神々が登場します。

古代ギリシャでは天文学も盛んで、これらの神々は天体とも結びついて語られ多くの星座名として使われているのはごぞんじでしょう。

月にまつわる神女神アルテミス

三日月のような細い弓で狩りをする狩猟の神でもあり、その弓の方向は月の満ち欠けと関係しています。道に迷った人々に進むべき方向を教えてくれます。

ある夜、一人の狩人が森の中で方向がわからなくなり、道に迷ってしまい途方にくれていると、遠い山の上にかかる細い三日月の中から、銀色に光る女神アルテミスが現れました。女神アルテミスは「三日月は太っても矢の差す方向はいつも西。真ん丸な満月が過ぎれば、痩せていく月の矢の差す方向はいつも東」と呟くと、幻のように姿を消してしまいました。

狩人には意味がわかりませんでしたが、やがてその意味に気付き、月は三日月から半月、満月へと満ちていく、その太っていく月を弓に見立てて矢をつがえると、つがえた矢の示す方向はいつも西になる。

そして満月を過ぎると月は欠けていき、痩せていく月を弓に見立て矢の指す方向は反対側、つまり東になると理解しました。

狩人は、迷うことなく無事に家に帰り着きました。こうして狩人たちは、女神アルテミスの教えどおり、月夜の森で道に迷うことはなくなったと伝えられています。

なぜ日本人は「月」を想うのだろう!

「曇りなき心の月を先だてて 浮世の闇を照らしてぞ行く」

これは伊達政宗の辞世の句です。政宗の鎧兜も黄金に輝く鋭い三日月の前立てがある。伊達政宗は一体どんな思いで月を見ていたのでしょうか。

和歌に詠まれ、かぐや姫の故郷とされ、月見をしながら月見酒、月見団子と情緒甚だしい月です。

文学や芸能に見る月

「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」

「秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ」

「朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里に降れる白雪」

など、月を題材にした歌が和歌には多数詠まれています。


「いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな」

など、恋愛と月の関係もなかなか深いものがあります。恋人の来訪を待つ女性が夜空の月を見上げて物思いという光景は、それだけでなかなかに雅(みやび)なものを感じさせます。

俳人・小林一茶の句や夏目漱石が「I love you」を「月がきれいですね」と訳したという逸話にもあるように、月がそれだけ日本人にとって生活の一部だったということがよく分かります。

月にまつわる風習

月が満ち欠けしていくその姿にも、それぞれ名前がつけられています。

新月・つごもり : 陰暦の30日頃
三日月 : 3日 頃
七日月 : 7日 頃
十日余(とおかあまり)の月 : 11日 頃
十三夜月 : 13日 頃
望月・満月 : 15日 頃
十六夜月(いざよいづき): 16日 頃 :「いざよい」=なかなか進まない、という意味。
立待月(たちまちづき): 17日 頃 :日没後、立って待っていても月が出てくる時期。
居待月(いまちづき): 18日 頃 :月の出が遅いため、座って待つ時期。
臥待月(ふしまちづき)・寝待月(ねまちづき): 19日 頃 :月の出がかなり遅いため、臥して(寝て)待つ時期。
更待月(ふけまちづき)・宵闇月(よいやみづき): 20日 頃 :夜も更けてから月が出てくる時期。
二十日余の月: 22日 頃
二十三夜月: 23日 頃

※日付はすべて陰暦が基準

この他、

日没前後に見える月の総称「夕月(ゆうづき)

明け方にまだ残っている月「有明の月」

円の半分の月の形「弦月(げんげつ)」・「弓張月(ゆみはりづき)」

など。

諸外国の月文化

アジア圏には日本と同様の月を愛でる慣習が存在するが、欧米諸国では月をどのように見ていたのだろう。

ギリシャ神話のセレネー・アルテミス・ヘカテ、ローマ神話のルーナ・ディアーナなど女神を見出してるのは前述したが、月探査、月世界旅行といったことほどには、月の「鑑賞」そのものにはあまり興味を示さなかったようにみうけられると私は感じている。

まるで興味がないということではなく、月にお供えをしたり、口説き文句で「月がきれいですね」などとひょうげんしてみたり、風情はあまり感じられません。

印象的なのが、満月に吠える狼(狼男)や月夜の魔女など、「月が人間に狂気をもたらす」と考えられていたことや、英語の「ルナティック」は狂気の状態にある人を指すが、「ルナ」とは月の事である。

北欧やイヌイット・アイスランドにおいては、妊娠に関連して女性が月を見ることを禁忌とする風習もみられる。

しかし、「狩猟月」「収穫月」といった収穫祭にあたる満月の日の行事はちゃんとあり、月をモチーフにした童話などもある。

イスラム圏やパラオの国旗には月が描かれているものもあり、収穫など実りの象徴とされているケースも見られるので一概には言えないのかもしれないが・・。

月に関する言葉をいくつか並べてみます。

そんな月に関する美しい日本の言葉やおしゃれな表現をご紹介します。

《新月》

そもそも新月とは、地球から見た月と太陽の方向が同じになって、太陽の光が届かなくなり、地球には月が暗い面を向けるので、私たちからは一時的に月の姿が見えなくなる状態のことを表します。

またその月が見えない状態を過ぎたころの、細く見える三日月のことをいう場合もあります。今日は綺麗に晴れた夜なのに、月が見えないなと思ったらその日は新月なのかもしれませんね。

「朔」(さく)

新月の別名に「朔」(さく)という言葉があり、逆戻りを意味する「屰」と「月」を組み合わせた漢字で、月が満ち欠けして新月の状態に戻っていくことに由来しています。

この言葉は新月の、まったく月の見えない状態の意味に相当します。太陰暦では朔の状態が月の始まりに相当するので、「朔日」や「朔」をついたちと訓読こともあります。

「盈月」(えいげつ)

「盈月」(えいげつ)は、新月から満月へと丸く月が変化していく様子のことを言います。

逆に満月から新月へと月が欠けていくのは「虧月(きげつ)」と言います。

ですが「盈」という漢字自体に満ちるや満たす、いっぱいになるという意味があるので、それを「月」と組み合わせて、月の変化を表現している訳ですね。

「暁月」(あかつきづき)

下弦の月(半月)の状態から新月の手前の細い月が、明け方に残っているような状態を 「暁月(あかつきづき、ぎょうげつ)」や「暁月夜(あかつきづくよ)」と言います。とても幻想的です。

他にも少しニュアンスの違う「有明けの月」や「残月」という言葉もあるので、この時間帯の月も日常的に表現されていたんですね。

満月」(まんげつ)

その名の通り、綺麗な丸い形をした月のことです。太陰暦でいう十五夜(中秋の名月)や十三夜などに諸行事が古くから行われてきました。

日本ではウサギの餅つきといわれますが、他の国ではロバやカニなど様々な動物や状態で表現されています。

また、英語圏では1月はウルフムーンですが、6月はストロベリームーンと、各月ごとに異なるおしゃれな満月の呼び名があるそうです。

「望月」(もちづき)

満月の別名「望月(もちづき、ぼうげつ)」ともいいます。日本の古語で万葉集にも登場します。

映画「陰陽師」に出てくる 源博雅 が、牛車に乗った姫の事を「望月の君」と呼んでいました。「望月」という表現を使うのも風情があります。

「天満月」(あまみつつき)

「天満月」とは満月の別名で、「あまみつつき」と読みます。「空いっぱいに光輝く月」という意味です。

人工的な光が無い時代、大きな美しい満月の光は人々にとってことさらに明るく感じたのでしょう。

「十六夜月」(いざよいつき)

「十六夜月」は「いざよいつき」と読み、陰暦で言う16日目の夜の月をいい、既に満月(望)を過ぎたことから既望ともいいます。

「いざよい」とはためらいや躊躇という意味があり、満月よりも月の出が少し遅くなる様子を、月がためらっているというふうに表現したというわけです。

季語・その他

俳句や短歌で用いられる季語にも、月に関連した言葉があります。

梅雨の合間に珍しく見える月を「梅雨の月」

暑さの中でも月の涼しげな様子を表した夏の季語「月涼し」

などがあります。

「雨月」や「無月」、「宵闇」(よいやみ)は秋の季語です。

宵闇」というと単純に夜の暗い状態を指すようにも使いますが、実は太陰暦でいう16日~20日頃に月の出が遅くなって、その間の夜の暗い様子やその時間帯のことをいいます。

太陽が沈んでほの明るさはありつつも、月は出ておらず暗闇が迫ってきているようなイメージです。

「おぼろ月」

「おぼろ月」は「朧月」とも書く春の季語です。霧や靄をまとったかすんで見える月の状態をいいます。

月の満ち欠けに関係なく、満月だろうと三日月だろうと「おぼろ月」と表現するので、春の季節に昼は暖かったのに夜は寒い時を表現するのに使われます。

「月の船」

美しい夜空を海に、月を船に例えて「月の船」と表現することがあります。

月は東から昇って西へと沈んでいく様子を、船が海に漕ぎ出していっているさまに見立てた言葉です。

この場合、月は満月というよりも弓型になっている月のことをいいます

満月が人に与える影響

昔から、満月には不思議な力があると言われており、海外では満月のことを”サクセスムーン”と呼んだりすることもあります。

満月の日には満月効果 ( Full Moon Effect )があるとされ、人間に与える良い影響 ( 効果 )、逆に悪い影響 ( 効果 )それぞれがあるようです。科学的に証明された訳ではないので、あくまで仮説という位置ではありますが、

① 感情が高揚しやすい

これは、月の引力によって潮の満ち引きが起こるのと同じように、人間にも作用するというもので、血液や体液が月に引っ張られることによって神経が敏感になるからだとと言われています。

② 様々なモノを吸収しやすくなる

例えば、物質的な物からスピリチュアルなものまで、いろいろな「もの」を身体に吸収しやすくなると言われています。

③ 右脳が活性化する

普段、人は左脳 ( 理論・理性 )優先で行動していると言われていますが、満月の日になると、右脳 ( 感情・欲望 )優先の行動をとってしまうと言われます。

 

良い満月効果 ( Positive Full Moon Effect )

① サクセスムーン ( Success Moon )

アメリカやヨーロッパの一部で使われているカレンダーには月齢が記載されていることが多く、ニューヨークのビジネスマンの間では、満月の日に商談をすると成功する確率が高いことから”サクセスムーン”と呼ばれるようになった。

これは、 感情が高揚しやすく、ハイになることで、商談の相手先の気分が高揚し、企画などが通りやすくなる現象だと思われます。

ちなみにこの”サクセスムーン”は、ビジネスの場面だけではなく、恋愛成就にも当てはまるそうです。

② 金運を上げる

満月に向かって財布や通帳を振ると、金運が上がるそうです。(笑)

③ ダイエットに最適

満月から新月へと月が欠けていく”下弦の月”のサイクルに合わせて、ダイエットをスタートさせるとより良い効果があると言われています。細くなってゆくイメージですね。

④ 月光浴

日光浴ならぬ、月光浴。月の光を浴びることで、心身ともに浄化されるというスピリチュアル的な効果。(ブルーツ波?、変身するのは困るなぁ)

この月光浴は人体だけでなく、ペットボトルなどに入れた水に月の光を浴させることで、月のパワーが宿った特別な水になり、その水を飲むことで体内から月のパワーで浄化されるというスピリチュアル的な効果も期待できるという。

水木しげるしの漫画で有名な「ゲゲゲの鬼太郎」の話で、「ぶるぶる」という妖怪が車を運転しているドライバーの手や体をぶるぶるとふるわせ事故を起こさせるという話がありました。

この「ぶるぶる」肉眼では見えないけれど、満月を映した氷を通して見るとその姿がはっきりと見えるのだそうです。・・余談でした。

良くない満月効果 ( Negative Full Moon Effect )

次に、良くない方向にも働く場合

① 犯罪が多発

満月の日は、犯罪の発生率が高くなると言われ、これは 感情が高揚しやすく、ハイになったりすることによって、いつもとは違った行動を取ってしまうことが原因だといいます。

これに関しては、犯罪発生率には因果関係があるという人、ないという人に分かれているそうです。

② 太りやすい

普段よりも様々なモノを吸収しやすくなる効果により、あらゆるモノが人体に吸収しやすくなっているということらしいのですが、要は本人次第ということですね。

 

そんなこんなで、秋の夜長は月を見ながら、又ちょっと一杯やりながらいろいろな物思いにふけるのもいいかもしれません。

 

「秋の夜長」という言葉・・「惑星の周期運動だよ、」などと言わず風情をもって感じたいものです。

 

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