ホツマツタヱが語る古代日本①

ホツマツタヱが語る古代日本①

ヲシテ文字とあわのうた

ホツマツタエ(秀真伝)は、古代倭(やまと)ことばで綴られた壮大な叙事詩であり、縄文後期から弥生、古墳前期までの約一千年あまりの神々の歴史や古代日本の文化がそれぞれ「天の巻」「地の巻」「人の巻」の3部構成で記されたものです。

また、これらはヲシテ文字によって記述されており、アメツチの始まり(天地開闢)から、カミヨ(記紀にいう神代)で天神12代、そして神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)から景行天皇( ヲシロワケ )までの 人皇12代の事柄がヲシテ文字を使用した五・七調の文章で記述されています。

 

 ヲシテ文字

ヲシテ文字は神代文字の一種であると考えられており、現在の五十音順の発音と同じように、48の文字・発音で構成された縄文期の古代ヤマト文字です。

 

ヲシテ文字

子音の順序は、通常の五十音順ではないことがお分かりいただけると思います。

それぞれの文字は、一文字ごとに特定の意味を持つ表意文字(言霊:ことだま)でありまた表音文字(音霊:おとだま)なのです。

ウツホ、カセ、ホ、ミツ、ハニ は、 現宇宙の基本構成(真空宇宙に充満する素粒子を含め)五つの要素を表しており、子音は相(そう)といい、状態を表す記号です。

それらの組み合わせで48音が構成されており、この48文字のすべてがある現象や状態を表現しています。

「あ」相転換によるエネルギーの派生から始まり、「の」物質化により宇宙の誕生(ここまでが”陰”の状態)、ここで反転し「も」から「わ」エネルギーの相転換により派生前の状態 (陽) へと還流します。

インフレ―ションからビッグバンそして形成、やがて拡散・消滅してゆく状態を考えてみるとわかりやすいかと思います。

一音一音に意味があり、文字のカタチがエネルギーや現象・事の理を表現しています。

 日本語の本来の意味は、その音霊・言霊が直接作用を起こすものであるため、悪い言葉(呪い詞)を唱えると負のエネルギーが派生し、良い言葉(祝詞)は神に通じると考えられていました。

カタカムナウタヒをご存知でしょうか?

カタカムナ文字も一音ごとに意味を持ち、中心のヤタノカガミを通して相転移を表す渦巻き状の構成となっています。 中心となる事象の地平線(ヤタノカガミ)より渦巻き状に派生したエネルギーが循環しやがてまた元って行くエネルギーの循環(陰陽)を表しています。

古代日本には文字はなく、漢字伝来以降だという一般論が今のところ常識だと言われておりますが、このような、ヲシテ文字などその他の神代文字と呼ばれる文字が古代日本には幾種類もあったと言われています。

ただ何ゆえか、古代日本人を文字も農業も持たないただの原始人扱いをして、日本人のアイデンティティーを貶めたい人たちが沢山いるようです。

 

「アワのうた」のはじまり

天神初代の”クニトコタチ” からはじまり、第5代”オオトノジ” ”オオトノマエ” の両神 (夫婦 )までは、豊かで安泰な国が続きました。

 天神6代目の淤母陀琉神(オモタルノカミ男神)と阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ女神)両神の時代も、国中に豊かな作物が実り、民の糧も豊かになり平和な国でありました。

しかし、生活が豊かになり人の数が増えるにしたがって相争うようになりました、また両神は世嗣子(よつぎ)に恵まれず、死後国は再び乱れ無秩序な状態になっていました。
 そんな時、高天原(たかまがはら)より、 根の国主の御子タカヒトとヒタカミ国主の娘イサコが ツクバのイサ宮で 婚姻を結び、イサナギとイサナミとして第7代目の皇位を継承します。
 両神は先ず、葦原中国(アシハラナカクニ・滋賀)で、天神から引き継いだ矛(ほこ)をシンボルに日本の各地を再生し農業を復活させ人々の暮らしの安定化に努めました。

また、国民の言葉が大きくなまってしまいお互い通じなくなったのを心配し正そうとされました。
 男神・女神は声を合わせ、カダガキ(楽器)をかき鳴らしながら、上 二十四音をイサナギが歌い、下 二十四音をイサナミが歌って音声の標準化を図ることで、産まれた子どもには幼少期より歌をうたわせて発音の教育を施し言葉の共通化によっても国の再建に注力したのでした。

 

この時、教え伝えに謳われた歌が「アワのうた」だったのです。

あわのうたと神生み

「 あ」 から始まり「わ」で終わるこのアワのうたは、上24文字が左回り、下24文字は右回りに読まれます。

これは、天地開闢の時天津神のイザナギが右まわりで、イザナミが左まわりで天御柱をの周りを廻りながら八百万の神々を生み出したことと深い関係があります。

 

天(陽)を表す「あ」(空間と生命の派生)から、地(陰)を表す「わ」(すべての調和)までをイザナギとイザナミは互いに唱えながら天御柱(八尋の殿に立つ柱)の周りをまわっていったのです。

あわのうたは 、初代天皇クニトコタチの時代の縄文哲学・世の理(ことわり)を伝えるものでイザナギとイザナミの国造りにも重要な役目を果たした聖なる祓え歌だったのです。

 

不遇の子 ”ヒヨルコ”

イザナギとイザナミの両神は、天之御柱を互いに逆方向に回りながら、これからの国つくりの中心となる神を産み出していきます。

イザナミは、 ”あなにえや ゑおとこ”  と声をかけ。

そしてイザナギが、 ”わなうれし ゑおとめ

と声をかえし、その後身ごもったのが ”ヒヨルコ姫” でしたが、無事に出産することなく流れてしまったので、葦船に乗せられて弔われました。

このことをトヨウケノ大神に相談しフトマニで占っていただいたところ、次のように申されました。

フトマニ図

五・四調の歌は事を成せない破調のうたであるとし、以下のようにうたいなおしました。また、女性が先に声をかけてはならないとの事で、イザナミから先にうたうことになりました。

イザナギが先に、 ”あなにゑや うましおとめに あいぬ

そしてイザナミが、 ”わなにやし うましをとこに あいき

五・七調で謳われました。

一人目は ヒルコ (後のワカヒルメ:ワカ姫)という女の子を授かり、二人目は月を待たずに胞衣が破れて流産し、ヒヨルコを産んだとされていますね。

この辺りは、記紀とは少し違った内容となっています。

ホツマツタヱでは、ヒルコとヒヨルコは別人であり女性として書かれています。

ヒヨルコ姫は流産したとなっていましたが、順番から言うと第二子であり、第一子はワカ姫(後のヒルコ姫) とされています。

五・四調 は、九文字であり十に満たない、九十(事:こと)を成せずということですね。それで、五七調のうたへと変更することで無事に成功を修めることができたのでした。

しかし世嗣(世継ぎ)になる男の子には恵まれずに苦心しましたが、あわのうたを歌い、正しい手順で柱を巡り、ようやく世嗣であるアマテル・ツキヨミ・ソサノオを授かったのでした。

この三人の神は、いずれも男神となっています。

三柱の神と書かないのは、所謂現人神(あらひとかみ)であり実在の人物として書かれているためです。

別天津神(ことあまつかみ)ではありません。

神生みと五つの宮殿

イザナギとイザナミは、ハラの宮にて国つくりを始められた時に 一女三男をお産みになりました。

そしてそれに伴い四つの宮殿(みやどの)とヒヨルコ姫の弔いの為の宮殿のを建てています。

1 ハラミの宮 (最初に国を治める時にいた宮殿で、富士の麓にあったとされています。)

2 筑波の宮(イサ宮)(ヒルコ姫を出産した時で、この時 天の節(厄年)だった。

3 淡路の宮 (二番目にヒヨルコ姫を身籠った時)

4 筑紫の宮 (イザナギ、イザナミ、ワカ姫、ワカヒト、ツキヨミによる国治)

5 熊野の宮 (ソサノオノ為に建てた宮)

筑波の宮でイザナミガ最初に身籠ったのがヒルコでした。

しかしこの年は、二人にとって天の節(あめのふし)つまり厄年であった。 産まれる御子は、姫の身には父の穢れを受け禍を被るとされたため「イワクスの船」に乗せて親元より離す事となりました。 と言っても捨てるわけではなく、カナサキ(いわゆる重臣:住吉神)夫婦の手によって西の宮殿で大切に育てられることになりました。

次に、おのころの宮殿(ヤヒロ殿)にある天之御柱を廻りながら、五‣四調の歌を歌いました。 この時の子が前述の ”ヒヨルコ姫”だったのです。

ヒヨルコ姫は、淡路の宮にて手厚く弔われました。

そして、前述のとおり五・七調のうたにかえ無事に生まれたのが、ワカヒト(アマテル:天照神)という男神となるわけです。

この御子は、伯母であるシラヤマのキクキリ姫(古事記などでは、白山の菊理姫)に名前を聞かれたときには何と、「ウヒルキ」と自ら名乗ったのです。

その後、トヨケ大神によって「ワカヒト」( 日の若宮のヒト) と斉名(いみな)を奉られたのです。

 日の若宮のヒト、ヒトとは ”ヒフミヨイムナヤコト”の「ヒ」(すべての始まり)から「ト」(統一され安定した状態)までの世の理(ことわり)を表すものとして男神につけられる 斉名(いみな) とされています。

世継ぎとなるべく日皇子(ひのみこ)が誕生したことで国を平定し言語を統一されたこの国をハラミの宮にて国を治められました。

筑紫の宮に移ったイザナギとイザナミが次に身籠ったのが、ツキヨミ(月読)という男神です。

しばらくの後、カナサキによって無事に立派に成長し厄払いを終えたヒルコ(ワカ姫)は、両親のいる筑紫の宮へと復籍されたのです。

ワカヒトの妹として、ワカヒルメ(ワカ姫)と呼ばれるようになりました。

その後、ソサの宮に移り生まれたのが、ソサノオ(素戔嗚:すさのお)という男神でした。

ところがこのソサノオは常に大声で 泣きわめき、人々に不安を与えたため、その邪気を払い鎮めるため熊野の宮を建てたとされています。

ここまで見ると、古事記や日本書紀と比べると結構内容が違っていることがお分かりいただけると思います。

ホツマツタヱやミカサフミ・カクのフミ(フトマニ)などのヲシテ文献が古事記・日本書紀の原書であるならば、その時の時代背景などで人物や設定が都合よく書き換えられたのかもしれません。

また、73世竹内宿禰の武内睦奏氏によれば、天地開闢の頃の神名がそのまま人皇の名であったりするのは、その名を”別天津神(ことあまつかみ)”から”国津神(くにつかみ)”現人神”(あらひとかみ):人間へと継承されていったものだと語っていました。

次回、ワカ姫が五・七調で歌った祓えうたや呪いうた(まじないうた)を見ていきたいと思います。